2024/04/01 養蚕業の発達と蚕神信仰
○京都の蚕の社
嵐電「蚕ノ社」駅の東にある「蚕の社」は、祈雨の神として信仰を集め、京都でも最も古い神社の一つです。
『続日本紀』大宝元年(701)の記事にこの社の名前が記されていることから、建立は飛鳥時代のものではないかと推測されます。
本殿東側に織物の始祖を祀る蚕養(こかい)神社があることから、この神社は通称を「蚕の社(かいこのやしろ)」又は、「木嶋神社(このしまじんじゃ)」と呼ばれています。
木島神社の西には、聖徳太子に影響を与えたとされる秦河勝ゆかりの広隆寺があります。
渡来人であった秦氏が養蚕技術をこの地にもたらしたと言われており、古くから秦氏の大集落があったとされることから、この地は太秦(うずまさ)と呼ばれ、木島神社も秦氏ゆかりの神社と考えられています。
日本の絹産業では富岡製糸場と絹産業遺産群が有名ですが、京都にも秦氏、太秦、蚕の社など、日本の絹産業の歴史に深く関わってきた遺産が多く残されており、その歴史の古さを考えると日本の絹産業の原点は京都にあると考えられます。
実際、平安時代には京都の地で絹織物業は宮廷文化を中心に発展を遂げ、それが現在まで引き継がれているのです。
平安以降、近世まで律令体制が崩壊により、官の独占であった蚕糸絹業は、生産力が下降し、有力者による生産と輸入に頼っていくことになります。
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2024/03/15 養蚕業の発達と蚕神信仰
○養蚕業の発達と蚕神信仰
江戸時代以前は生糸は輸入に頼っていましたが、江戸時代以降は絹の国内需要が増えたため、輸入による金銀の流出を防ぐために幕府は生糸の輸入を制限して、国内の養蚕を推奨するようになりました。
養蚕業は畿内中心から、関東、東北地方に拡大し、この地方の農家では養蚕が短期間で大きな収入を得られる生業で、その成否が一家の盛衰に多大な影響を及ぼすようになりました。
そして絹織物も西陣だけでなく桐生織も流通するようになっていきます。
このころ知識や技術の向上のため、養蚕のための手引書が蚕種作りを商う蚕種家によって多く書かれたようです。
とはいえ、蚕は繊細な生き物で、蚕自身の成育が難しいことや、餌となる桑の生育、蚕の天敵であるネズミなどの食害など様々な問題に立ち向かうため、精神的な支えとして信仰の存在がありました。
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