HISTORY

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1982年創業

創業者の渡邉博は1926年11月26日に中国の上海市で生まれました。1932年小学校一年生の時に上海事変が起こり、一時日本に帰国しましたが、その後京城(現在のソウル)に3年間在住し、1936年には満州に移り住みました。1937年には母親の実家がある広島に身を寄せ、母親の没後、京都の親族の家に預けられました。1947年大阪商科大学(現大阪市立大学)を卒業後、1948年グンゼ産業に入社し、半年間生糸部に配属され、のちにシルク織物部で輸出実務にかかわりました。1972年、グンゼ産業輸入繊維部長になったころ、絹委員会の委員長に指名され、5年以上を日中間の民間協定づくりに費やし、1979年にグンゼ産業の子会社の社長を務め1982年に退任。シルクコンサルタントとして、日本のシルク業界をサポートし、日本の洋装分野のシルク需要を促進することに貢献したいと考え同興テキスタイル(現:同興商事株式会社)を設立しました。

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1990年素材開発から製品OEM事業へ

現代表の渡邉大を中心に、「デイリーシルク」として、より身近にシルクを普及したいとの思いで、素材開発を積極的に進め、製品化(OEM)まで対応できる仕組みを作りました。タウン市場の若いゾーンのブランドなどとの取り組みも広がっております。シルク100%だけでなく、綿、麻、ウール、レーヨン、ポリエステルなどの複合化で裾野を広げながら、さまざまな技術を融合させ、テキスタイルだけでなく、製品における加工でも複合技術で新たな商品を生み出し、提案してきました。
お客様からの要望を元に、お客様のコンセプトに合った素材、刺繍加工、付属などの市場調査を行い、素材、デザインによって起こり得る問題を予測しながら進め、素材に無理のない縫製仕様、コストダウンを意識し、縫製工程を常に意識したモノ作りを行っております。当社のシルクをはじめとする素材や縫製・加工などの数々のノウハウと高度な技術で高品質な製品生産を行っております。

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2001年ダイナミーシルクの誕生

創業から19年目の2001年、約5年の歳月をかけ、合繊と絹(生糸)の全く相容れない二つの繊維が、新しい技術で結び付き、画期的なコアヤーン「ダイナミーシルク」が誕生しました。「ダイナミーシルク」は糸の表面を絹が覆い、内側の伸縮性を担う弾性糸は表に出ない絹糸です。これまでシルクに対して、取り扱いが難しく、デリケートな素材のイメージがありましたが、この「ダイナミーシルク」は、見た目や肌触りはシルクと同じでありながら伸縮性を持つため、インナーからアウターまでフォローできます。そして、他繊維との複合も自由自在で幅広い素材開発が可能です。「地球環境に優しく」「シワにならない」「縮まない」「洗濯が楽である」等の条件が求められる今の時代で、天然繊維のシルクは取り扱いが難しいというイメージを払拭するこの「ダイナミーシルク」は非常に画期的な糸と言えます。圧迫感を感じないフィット感のある肌着をはじめ、ブラウス、ワンピース、ニット、ジャージなど様々な衣服や雑貨に用途が広まっています。「どこにもない糸」だけに「ダイナミーシルク」は企業はもちろんのこと、シルク業界を永続する大きな存在といえます。

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2016年ブランド「LOOK SEA」の誕生

当社は一貫してシルクに関わり、シルクを日常の衣料として提案できる糸、素材、製品の開発を心がけ、シルクのよさを生かしてシルクのデメリットを解消する、新しいシルクの提案に力を注ぎ、ファッションアパレルのOEM生産を行ってきました。
シルクという難しい素材に特化してテキスタイルの開発、販売から製品(OEM)まで一貫でこなす。中国には自社の縫製加工場を持ち、日本との連携を強めながら、どこにもないコンバーターとして認知度を高めてきました。
その経験を活かし、さらに新しいビジネスの軸として自社ブランド事業を進めてきました。その第一弾のブランドとして、2016年にカジュアル&リラクシングウエアブランド「LOOK SEA」を立ち上げました。
「LOOK SEA」は本物の価値を知る大人がターゲットです。その大人たちに響くように上質なオリジナル商品開発とブランディング(イメージアップ戦略)を続け、「LOOK SEA」を通じて、日常的なシルクの良さ「YOUR DAILY SILK」を伝えていきます。「LOOK SEA」は、当社が独自開発したシルク素材を基本としており、身体にやさしいシルクの持つ特性を活かして、 快適に過ごせるベーシックなアイテムを展開していきます。

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戦後~クオーター規制の撤廃~現在シルク業界の変遷

戦前は欧米向け生糸輸出と国内着物需要に支えられ、生糸は輸出大宗商品として明治以来日本の近代化に大きく貢献しました。

戦後第1期(1950年~1959年)

戦後のシルク業界は、絹織物を欧米へ輸出することから再開し、織物は軍需用に備蓄されたものが政府機関から民間貿易に移管されました。戦前の主力輸出先アメリカが、戦時中にナイロンを発明したことで生糸需要は完全に失ってしまいました。ほとんどの広幅織屋は欧州への輸出を指向し、内需は先染めお召と慶弔中心の着物、洋装は欧州輸出の残反が売られた程度でありました。

戦後第2期(1960年~1974年)

皇太子(現上皇)ご成婚、所得倍増、オリンピックなど日本経済は神武景気を迎え、内需拡大が進み、後半日中国交回復オイルショックを経験するまで着物需要が拡大し続けました。

戦後第3期(1975年~現在)

生糸輸入一元化が実施され政府は事業輸入量を押さえた結果、絹織物織屋は国際価格と遊離した生糸を使用せざるを得なくなり、必然的に絹全般消費価格も上がり、シルクは大衆から離れ高嶺の花となり着物需要を縮小させる一因ともなりました。和から洋への転換は1975年代初期、かなり積極的に試みられましたが、テキスタイル側に商品企画力が欠けていたため、アパレルに対し絹の商品理解が伝わっておらず、販売力も備わっていなかったため、シルク服地はイタリアを中心とする欧州からの輸入品に押されました。
中国二次製品については2000年ころから中国の染色、捺染、縫製技術も進歩し以前のような中国品は、安かろう悪かろうではなくなりました。
2005年「シルク織物輸入クオーター」が撤廃され誰もが自由に輸入できるようになりましたが、続く日本国内の不況感から、撤廃後の現在では輸入数量は皮肉にも、4割程度に縮小してしまいました。日本ではシルク関連産業が消えてなくなるがごとき、あきらめムードが漂っていますが、伝統産業のともし火を後世につなげること、シルクの持ち味を活かした消費を拡大することは、必ずできると強く確信しています。